若者よ、どこへ行く・・
先日は山梨県内のホテルで、司会ではなくウェイターとして結婚披露宴の食事のサービスを致しました。
それはもうびっくりです。
若者のマナーの悪さは・・もうひどいものです。男女共に!
ここまできているのか・・といった感じです。
くつのかかとは踏み潰し、ふんぞり返って椅子に座り、ナイフフォークの使い方はめちゃくちゃ、フルコースなのにほとんどの料理を少しづつ残し、お下げするものはございますか?と聞いても知らん振り、祝辞が始まっても全く聞く耳を持たず、タバコはプカプカ、お酒はがぶがぶ、言葉遣いは乱暴で、私は心の中で、『君は他人を思いやるということを知っているのか?』と叫んでおりました。
しばらくしてメインテーブルで、新郎新婦を囲んで友人達の写真撮影が始まりました。
いきなりサービス中のウェイターの私に、「撮ってください」とカメラを突き出し、撮り終えてカメラを返そうとしたら、「そこに置いといて下さい」。
『君はありがとうの一言も言えないのか!』と心の中で憤慨しました。
ウルおじ・・私もいつの間にか<うるさいオジン>になってしまったのでしょうか?
いや、おかしい、確かにおかしい。このままでは絶対良くないとと思いました。見過ごしてはいけないと思いました。
2~3ヶ月に1度くらい、披露宴のマナー講座を開催し、<若者のマナーの向上>をバックアップしていく必要があると強く思い至ったところです。
このまま放っておいては、披露宴に出席している健全なる列席者、良識人達が余りにかわいそうに思えるのです。
PS::この記事のタイトルでは、<若者よ、どこへ行く>と<若者>と一括りにしてしまいましたが、すべての若者をさしてるのではもちろんありません。その披露宴の中で、なかにはきちんとルールを守り、他者を思いやる若者も当然おりました。
騒がしいのは司会の責任?
<毎回、落ち込んだり、反省したりの繰り返しです。
今日は150名ほどの披露宴、人数のせいか、私のせいか、常にざわついていました。それはどうしてだと思いますか?
私も帰宅し考えましたが・・やはり、私の未熟さなのでしょうか?
次回こそは、次回こそは!!といつも思い、なかなか思うように行きません。まだまだ経験不足というのもあるのでしょうが、早く一人前になりたい私です。
アドバイスをお願い致します>
天井は随分高かったことでしょう。
会場も広々しすぎていたのではないでしょうか?
そういった環境の中で、150名もの人が集まれば、必ずやざわつきます。これは仕方ありません。
せめて、オープニングセレモニーとエンディングの花束贈呈や謝辞の時だけでも静かであれば、良しとしましょう。
その時(オープニングもエンディングのセレモニー)も、うるさいとなると、これはもう司会者の責任ではなく、お客様のマナーが低いといえます。どうぞあまり自分を責めないで下さい。
ただ、人のせいばかりしていては、せっかくの学びのチャンスを逃してしまいます。
いくつか自分でチェックしてみて頂けますか?
1.司会マイクのボリュームは如何でしたか?
列席者が100名を超えると、人が音を吸収して若干聞こえにくくなるそうです。それをカバーする為には、司会マイクの音量を通常より若干大きめにセットしておきます。つまりマイクテストをする時は、お客さんがいない状況ですので、その時点でちょっと大きすぎるかな・・くらいでセットしておけば、本番の時には丁度良くなります。
2.あなたの声質はしっかり通る声質ですか?ちょっと通りにくい声質ですと新たな工夫が必要です。
3.あなたのコメントはシンプルで分りやすかったですか?100名以上の列席者をリードするのにはコメントがシンプルで分りやすく、ハッキリしていて聞き易いことが必須条件です。
4.時にはレクチャーから離れ、列席者の中に自分をおいて、アナウンスしてみましたか?司会者が移動し、列席者の近くで明確なコメントを入れると場の空気が変化します。それをきっかけに静かになる時もあります。
5.客層の比率は如何ですか?披露宴のマナーをよく知って守ろうとする人が多かったですか?あるいは酒好きでマイペースの方が多かったですか?比率の多い方の雰囲気に全体が染まっていきます。お酒を飲んで騒ぐ人が多ければ多いほど、飲むほどににぎやかになります。
6.新郎新婦と列席者との親密度は如何でしたか?表面的なお付き合いの方が多ければ多いほど、ざわつきます。
7.経験上、会場が広々していて、天井が高いほど、どうしても列席者の気持ちはまとまりにくくなるようです。
1~4は司会者の範疇です。今後の課題でもあります。
5~7は、司会の責任以外の、ハードや客層に要因や誘因があります。
1~4はもちろんのこと、5~7も司会の責任だという立場を意を決して取った時、意外なブレークスルーがあるかも知れません。まぁそれはベテランのレベルになってから考えてもいいと思います。
順番的にはまずは1~4を徹底的にマスターするところからスタートのような気が致します。
ただ、以上はあくまで私の私見で、もっと良い方法や視点が沢山あるはずです。どうぞより多くの先輩達の話を聞いて参考にしてみて下さいね。
一人前になる近道は、より良い先輩司会者の司会を見学し、まねてまねてまねてみる。
その上で自分のオリジナリティを確立していく方法をお薦め致します。
石の上にも3年・・ということわざ通り、3年間はひたすら基礎を身に付けましょう。
じれったくもなりますが亀の歩みで良いのです。基礎をしっかり身に付けて、基礎体力をしっかり自分のものにした人が、ある時期から急激に伸びていくのです。そういう人を私は沢山知っています。頑張ってね!
アクシデントの対処法
結婚披露宴で起きたあるアクシデントの対処法についての相談です。
最近非常に増えてきた、パソコン持込のスライドショー・・、
キャプテンから合図を受けて、その司会者はスライドショースタートのアナウンスをしたものの、スクリーンには何も映らないのだそうです。
とりあえず、接続等の確認をする旨伝え、食事歓談を勧めて<間>を取ります。
しばらく後、スクリーンに映像が写り始めました。
司会者はコメントします。「お待たせ致しました。改めてご紹介させて頂きます・・」
列席者の多くが注目し始めた時、再び画面は落ちてしまい、会場からはブーイング・・、その司会者はあせって頭が真っ白になり、何も言えないまま時間だけがすぎていったという体験です。
こういったトラブルはカラオケでも良く起こり、この手のアクシデントに泣く司会者は多いと思います。
どうやって乗り越えるかを考える前に、そういうトラブルが起こりにくいようにする為にいったい何ができるのでしょう?
*打ち合わせの時点で、お客様にリハーサルの必要性を説明し、リハーサルの時刻までキッチリ決めておく。(ポイントは時刻をしっかり決めて進行表に書き込んでおくところです。こうすればリハーサルは必須項目となり、余興のお客様もホテル側もその時間に合わせて行動を起こします)
それでも本番にうまく映像が写らなかったら・・?
・まず状況を説明し、食事歓談を勧め、確認の時間を頂きます。
・司会者は堂々と笑顔を振りまき、事態を見守ります。
状況によっては、ホテルキャプテンと余興のお客様と一緒に接続その他を確認し、確認しながらこの後どのように展開するかを話し会います。
ただし事態が改善したら必ずお客様に、お詫びと見守って下さったお礼をします。必ず、必ず。
あるいは、
・「このお時間を利用致しまして、2~3新郎新婦お二人の事について、改めてご紹介させて頂きます」と言って、冒頭で紹介できなかったことを紹介する
・「こんな事もあろうかと思って、実は・・」と取って置きのネタを用意しておき、それを話す
・パソコンに話しかける
・この時間を利用して、テーブルスピーチをやったり他の余興を披露して頂く
・余興の方にインタビューする(スライドショーの苦心談、できばえ、製作時間や費用、スライドショーの見所やポイント、迷ったことや楽しかったこと他)
そうこうしているうちに、映像が写り始めました。司会者はお詫びとお礼のアナウンスをします。
ところが、そこでまたまた映像が落ちてしまいました。
もうお手上げです。
私なら「はい、司会の私も、もうお手上げです。」と言ってしまいます。
「このあとは、さぁ、始まりますよ・・のアナウンスは致しません、静かにさりげなくジェスチャーで皆様にお知らせします・・」
と明るくにこやかに言って知らん振りをします。
まとめます。
*アクシデントが起こらないよう事前リハーサルを必ずやる
*アクシデントが起こった時の対処法をあらかじめイメージしておく(取って置きの話、テーブルスピーチ、他の余興と順番入れ替え・・他)
*どんな対処方があるか先輩や同期司会者と話し合ってみる
*(あなたなりの答えを書いてみませんか?)
*
*
天才司会者以外、約9割の披露宴司会者は、みーんな悩んで大きくなっています。
アクシデントやハプニングに鍛えられ育てられているのです。
その瞬間瞬間、全身全霊で乗り越える経験を積みながら、酸いも甘いも噛み分けて、次第に味のある司会者になっていくのではないでしょうか?
共に頑張りましょう!
プロよりうまい司会とは・・?
個人的な自慢話ではありません。
自然でよかった・・というお客様の声が増えてきたということは、多くの方々が、<いかにもプロっぽいしゃべりや、聞き飽きた紋切り型の司会コメントはもういらない・・>と思い始めたと解釈してもいいと思うのです。
私が尊敬し師事している司会の大大先輩の鶴賀二郎社長は、よくこんな事をおっしゃっていました。
「あなた(の司会)は、プロよりうまいね!と、言われるのが一番嬉しい・・」と。
鶴賀氏の言う、プロよりうまいね・・の<プロ>とは、よくあるベテラン司会のあまり良くない司会ぶりをさしています。
つまり、
1.司会コメントがあまりに流麗すぎて言葉に重みがない。
2.間(ま)を埋める為に、関係のない不必要なコメントを言い続け、そうやって間を埋められる事に自己陶酔し、それこそがプロだと勘違いしている。
3.常套句や紋切り型コメントが多い。
4.語尾を甘い鼻声で演出する
5.偉そうな態度や偉そうなコメント(指示的・命令的ニュアンスのコメント)が多い・・・等のことです。
いかにもプロ司会者という特徴の1~5までを徹底的に排除し、シンプル・イズ・ザ・ベストをベースに普通に自然に司会をする・・これが鶴賀氏の提唱する司会のあり方です。
プロのいやらしさを省いた自然体の司会をした時、お客様は<あんたプロよりうまいね・・>と言ってくれます。その時が一番嬉しいと鶴賀氏は言っているのです。
私は22年の司会経験を通して、以前に比べると大分<自然な司会ぶり>になってきたように思います。でも正直に告白しますと、50歳を超えてやっと披露宴司会が楽しいと思えるようになったのです。
それは、<無理してもしょうがない、自分は自分でしかない、できる事は徹底的にやって、後は運を天に任せよう>という、<健全なあきらめ>から来ているような気がします。
披露宴司会が楽しい時ほど、不思議とお客様から<自然でよかった・・>とお褒めの言葉を頂くような気が致します。
普通に自然に・・を心がけ、ますます(披露宴)司会について勉強していくつもりです。
ことば・・氷山の一角
会の締めくくりに、高校時代のバスケットの先輩のH氏が締めの挨拶をしました。
その挨拶の中にこんな言葉がありました。
『また2年後、今日と同じ顔ぶれで、同じように皆さんとお会いしたいと思います』
さりげない言葉です。
まぁよくある言葉かもしれません。
ただ私にはその一言に、何かしみじみしたものを感じたのです。
私が頭で考えて感じたのではなく、スッと瞬間的に感じた・・という感じです。
帰りがけ、送迎バスでたまたまそのH氏と隣り合わせに座りました。
私はそれとはなしに先程のH氏の締めの挨拶の内容に触れました。
「H先輩の締めの挨拶、良かったです。特に<また2年後、今日と同じ顔ぶれで、同じように皆さんとお会いしたいと思います>といったところが、なぜか妙に味わい深く感じられました」
H先輩曰く「お前だけだよ、そう言ってほめてくれるのは(笑い)、イヤーそういうことを言う年代になってきたんだね、同級生でももう何人も見送ってきたし・・若い頃だったら今日の仲間と、またいつでも会えると思っていたけど、今となると、又今日と同じようにみんなで会えるかなぁ・・とふと思ってしまうんだよ。そういう年代に我々はなってきてしまったんだよなぁ。いつものように同じようにみんなと会える・・というあたりまえのことが、実はとても幸せなことに思えるんだ。
何もないこと・・何も変化がないこと・・変わらないことが、かえって有り難い事、幸せなことと思うんだ・・」
H氏は昨年お母さんを亡くされ、その直前には奥様側のご不幸もありました。数年前にはお父様も亡くされされ、まさに生きることと死ぬ事の両方を短期間に経験し、別れの辛さや悲しさを乗り越えてきた方です。
だからこそ、あぁいう言葉が紡ぎだされたのかもしれません・・。
『また2年後、今日と同じ顔ぶれで、同じように皆さんとお会いしたいと思います』
彼の様々な思い、とりわけ生と死の様々な思いのごく1部がその言葉に託されました。ことばにならない部分は、親御様や同級生との別れの、無常観ではないでしょうか?
上記のことばは、その無常観を象徴するまさに氷山の一角だと思うのです。
一つの言葉を支えている(言葉にならない氷山の)部分には、なんと沢山の、その人の思いが隠されていることでしょう!
そのことを知っただけでも今回は大きな学びです。
人として、司会者として、言葉を支える<氷山の部分>をスッとキャッチできるような豊かな感受性を身に付けたい・・、そんなことを思う1日でありました。