司会のウラワザ

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よりよい人生をめざして                       

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結婚披露宴打ち合わせ。

司会の私は質問します。

「初めて出会ったときの第一印象をお話し頂けますか?」

『ビビッときました』
『私のタイプじゃない・・と思いました』
『とてもやさしそうな人だと思いました』
『あっこの子だと思いました』
『特に強い印象はありませんでした』

人生いろいろ、印象もいろいろ。

スッと言葉が出てくる新郎新婦がいます。
なかなか言葉が出てこない新郎新婦もいます。

なかなか言葉が出てこなくても、司会の私はじっと待ちます。いや、正しく言うと、最近、じっと待つことができるようになりました。

なぜ待てるようになったのか・・?といいますと、それは次の理由です。

自分の「思い」を「言葉」にする作業は、とてもむつかしい作業だと気付いたからです。
自分の「思い」を「ジャストフィットの言葉」に置き換える作業は、とても時間がかかると気付いたからです。

自分の「思い」を一つの「言葉」に表現してみても、何かピンとこなかったり、微妙にニュアンスが違ったり・・・することがあります。

そんな時、自分の「思い」にぴったりの「言葉」を捜そうとします。
その『捜す時間』、その『検索する時間』が、人によって、内容によって、かかっていくことに気が付いたからです。

新郎新婦が、自分の「思い」を深く深く探っていく・・・賢明な司会者はそれを静かに見守ります。
せっかちな私はついつい助け舟を出したくなります。

ここが肝心!
最近そんな時、自分の呼吸をゆったりゆっくりすることを覚えました。

まとめますと、
「思い」を「言葉」にすることは、結構大変で時間がかかるということ、
内面に向かって言葉を探っている相手の呼吸に、自分の呼吸を合わせていくということ、
この二つがポイントのような気がします。

以前より少しだけだけど、落ち着いて待つことができるようになりました。

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by qqbh8530 | 2005-11-30 00:33 | 司会

自分の司会の判断基準

プロ司会デビュー当時から、なんとなく思い込んでいた事があります。

自分の司会がいったいどうだったのか・・・?の判断基準を、以前私は1つのことに求めておりました。

司会の私に
お礼状が届いたか?
の1点です。

お礼状が届けば、(私の司会を承認して下さったようだ)と、心の中で安心します。

お礼状が届いたからと言って、司会が良かったからと言い切れるでしょうか?

なるほど、
司会が良かったからこそ、お礼状を出す方も多いでしょう。

ところが世の中、上記のような方ばかりではないようです。
司会がどうであれ、司会が良くも悪くも、筆まめな人はお礼状を送ってきて下さいます。

ようは、司会が良かったからとお礼をする人もいれば、司会が芳しくなくても、個人的な思いや個人的な習慣で、お礼をする人もいるわけです。

時折チップを頂いても、お礼状が来ても、それらのことは、司会が良かったかどうかと関係がある時もあれば、関係が無い時もあるわけですね。
このことに気が付きましたので、お礼状を頂いても、有り難い感謝の気持ちを持つのは当然ですが、手放しで喜んだり、司会も上達したのだと思い込まないよう気をつけることができるようになりました。

自分の司会がどうだったか・・・やはりビデオで自分の司会振りを確認するのが一番だと思います。
あの人の視点にたって、その人の視点にたって、客観的に見てみます。よく観察すると、自分のコメントにお客様がどのように反応しているのかを見てとれることもあります。なかなか勉強になります。

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by qqbh8530 | 2005-11-28 00:58 | 司会
今日は11月26日、もう4日も経ってしまいました。

11月22日・・・いい夫婦(ふうふ)の日。
今年はウィークデイの火曜日(赤口)だったので、披露宴はそう多くは無かったことと思います。

もし大安の土日だったら、たくさんの披露宴があったことでしょう。
そこでは、「お日柄もよく、今日は11月22日・・いいふうふのひ であります」といった内容のスピーチが盛りだくさんであったことと思います。

先日BMCA代表の恋塚氏から以下のようなメッセージが届きました。
〔MC(司会)の冒頭の挨拶で「今日はいい夫婦の日なんですよ」とやってしまう人がいます。・・・この手のお約束ネタは、列席者がスピーチで言おうと準備してきている可能性大です。もしそのネタが誰の口からも出なかったら、終わりのあたりでMCがサラッと言うのがスマートでしょう。〕

同感です。
私も司会者としてついつい使いたくなってしまう約束ネタです。が、ここはちょっと我慢して、列席者のスピーチを聞いてからにしています。

一生懸命時間をかけて用意してきたスピーチの中の「約束ネタ」を、司会者がいとも簡単に流麗にコメントしてしまったら・・・?列席者はどんなにがっかりすることでしょう。

伸びていく司会者は、約束ネタは、言わずに我慢します。
いい司会者は自身のエゴに走らず、お客様最優先の立場をしっかり取ることができるはずです。

私自身への戒めの気持ちもあってあえて、司会のウラワザに入れさせて頂きたいと思います。


☆☆☆「BMCA(ブライダルMCアライアンス)」は、MC(司会)の品質と地位向上を目的とした非営利団体です。ブライダルに関する幅広い良質な情報の公開をしています。また、非常に高度なより専門的なブライダルMCの知識の研究もしています。司会に賭けようと思っている方はぜひホームページを覗いてみてください。
http://www.bmca.jp

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by qqbh8530 | 2005-11-26 01:48 | 司会

着席のコメント

結婚披露宴 オープニングのセレモニー。
一般的な進行は、
開宴の辞⇒司会者からの新郎新婦の紹介⇒主賓約2名の祝辞⇒ケーキ入刀⇒乾杯となります。

新郎新婦の紹介が終わった後、主賓の祝辞の前に、司会の私は次のようにアナウンスします。
『続きまして、御来賓の皆様方よりお祝いのお言葉を頂いて参りたいと思います。尚、この後も、大変恐縮ですが、新郎新婦並びにご両家ご両親様の着席のままの非礼をお許し頂きたいと思います』

特に、新婦が妊娠なされている場合/新郎新婦(特に新婦)が少々疲れ気味の場合/乾杯前の主賓祝辞が3名以上いる場合は、ほとんどといっていいくらいこの「着席コメント」を入れます。

また祝辞を述べる主賓の方々が、「新郎新婦着席のコメント」を言ってくれそうもないと判断した場合もこのコメントを入れていきます。
通常は、特に主賓格の祝辞は、新郎新婦起立の上拝聴するのが一つの礼儀になっています。しかし多くの場合、そのご挨拶をする方が気を使って下さり、『新郎新婦どうぞお座り下さい』と言って下さいます。
・・が、全員が全員そう言って下さる訳でもありません。
そこがむつかしい。

もっとむつかしいのは、祝辞者が『新郎新婦どうぞお座り下さい』と言おうと用意してきたのに、司会者に先に言われてしまったと、不愉快に思う方がいらっしゃることです。

また、祝辞にあまり慣れていない方で、ご本人がせっかく新郎新婦着席のコメントを入れた内容文を用意してきたのにもかかわらず、司会者が先に言ってしまって、その部分を急きょ削った為、文のつながりが変化してしまい、しどろもどろになってしまう方もいらっしゃるからです。

そう考えると、新郎新婦やご両親の為を思っての「新郎新婦並びにご両家ご両親様の着席のままの非礼をお許し下さい」の着席コメントも、人によってはいささか迷惑になる場合もあるわけです。

最近では、新郎新婦に事前に確認するようにしています。
『体調はいかがですか?主賓の祝辞は3名いますが、基本的には起立して聴く方向で行きますか?あるいは司会者からお願いをしてお二人座ったままで聴く方向でいきましょうか?』

主賓の方々にも、司会者の「着席のコメント」に関して、どのような言葉で確認したら失礼にならないのか・・・思案中であります。

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by qqbh8530 | 2005-11-23 23:25 | 司会
先日、新郎新婦共に20代前半、ついこの間成人式を終えたばかりの若いカップルの披露宴の司会をさせて頂きました。

以前同じような若いカップルの披露宴司会で、ちょっぴり苦い思い出(新郎友人たちがあまりに大量にお酒を飲み、騒いで、会場全体の雰囲気がすっかり壊れてしまったこと)がありましたので、当然ちょっと気をつけながらの進行でした。

しかし心配はまったく無用でした。
新郎新婦友人代表のスピーチが続きます。どれも心のこもった、名スピーチです。
歌も数曲ありましたが、これまた、「情感あふれる唄いぶり」で、なかなか楽しめました。

ラストの余興は、新郎新婦の共通の友人10人が協力しあって製作した、オリジナルビデオの上映でした。上映中10人のうち何人かは席を立ち、見ている人の邪魔にならないよう留意をしながら、自分たちの作ったビデオを食い入るように見ていました。ビデオの内容は、結婚10年後のマンネリ夫婦・・・、ある時ちょっとしたきっかけで、出会った頃の親密な関係を思い出した新郎が、改めて夫婦間を修復していくといった内容でした。

結局、新郎新婦友人達は披露宴最後まで、ホスピタリティあふれる(他の列席者を思いやる心を持った)列席者でありました。

友人達約20数名は、受付を担当したり、スピーチをしたり、唄を歌ったり、ビデオの製作に何らかの形で参加したりと、それぞれ一人ひとりの役割分担が明確でした。誰もがもれなくこの披露宴に大いに貢献しているのです。
この貢献しているという自覚が、彼らに節度ある参加の仕方を生み出しているような気がするのです

前出の騒いで手がつけられなかった友人達は、なんの役割も与えられていなかったように思います。つまらなくて手持ち無沙汰で、またこういう披露宴に慣れていなくて、どうしたらいいのか分からなかったのかもしれません。それで騒いだりしたのかもしれません。

いづれにしても今回は、若人若者達がリードしたさわやかな披露宴のお手伝いができました。私も少し若返ったような気が致します。

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by qqbh8530 | 2005-11-20 01:51 | 司会

掃除と幸せとの関係

先日友人に誘われて、小林正観さんの講演を聴きに行きました。
本業は旅行作家、心学研究家、コンセプター(基本概念提供者)、心理学博士・・年間320回の講演、再来年まで講演予定がぎっしり詰まっている方、今の時代を生きる我々にとって、常識を覆しストレスの無い楽しい人生を送る上の「人生、うれしく、楽しく、幸せに生きられるコツ」などを、「唯物論者」の立場でお話されている方だそうです。

結婚披露宴のスピーチで、よく私達は、「幸せになってね」「私達幸せになります」「私はやっと幸せを手に入れることができました」等の言い回しをよくします。
唯物論の立場を取る小林正観氏は、『幸せという名の<現象>は存在しない』とはっきり言い切ります。そして『幸せとは、感じるもの/気づくものであり、自分が幸せだと思った人に初めて帰属する現象だ』と付け沿えていました。

さらに人生楽に楽しく生きる方法として次のような<概念>を紹介して下さいました。
『自分の思いどおりにしようと思わないこと、悩み苦しみ煩悩をゼロにするには、思いどおりにしようと思わないことです』と。
『あとはこの方法を、やるかやらないかだけです』とおっしゃっていました。

さらに、犯罪等の事件が起こる<場所>は、ほとんどどこも、その環境は<雑然とし、汚れている>そうです。これは警視庁の方から実際に聞いた話しだそうです。<汚れと犯罪は目に見えないところで結びついている><汚れと泥棒の泥の字はなぜか似ている・・>等のお話もされていました。

そういえば私の以前書いた記事内容にこれに似た内容文があります。
今年6月16日の記事で「プロ司会として大切にしていること」というタイトルで次のように書きました。
<司会レクチャー台にある資料等を、いつもきちんと整理整頓しておくことが大切です。キチンとしておくと、アクシデントやハプニングが起こりにくくなるんです。あまり科学的ではありませんが、私の司会歴20年の経験を通しての実感です>
レクチャー台が雑然とし汚れていると、なぜか事件(ハプニングやアクシデント)が起こりやすくなる・・・レクチャー台とアクシデントの関係について触れた記事です。

(株)イエローハットの鍵山秀三郎氏の凡時徹底・・掃除が会社を救う・・掃除が会社の繁栄をもたらす事例を紹介しています。
また、自然食研究科の東城百合子氏の 掃除をする、心を込めて床を磨く・・床がきれいになると同時に、心も磨かれてきれいになっていく も、掃除が人の心を純粋にしていく事例を紹介しています。

身の回りをきれいにする/身の回りの環境を整える/徹底的に掃除をする・・・誰に頼むのではなく、自分自身で自分自身の手と身体を使って、徹底的にきれいにすること/きれいにし続けることが、誰もが求めている『幸せ』と深く強く結びついているのではないかと思い至りました。

大変有意義な講演会でありました。

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by qqbh8530 | 2005-11-19 01:19 | よりよい人生の為に

魔法の『間(ま)』

プロ司会歴20年、ウエイター歴25年、様々な縁と出会いがありました。
中でも仕事柄、いいスピーチに出会う縁(機会)に恵まれています。
いいスピーチは、司会者のコメントの血となり肉となります。

ところで多くの方々がスピーチに対して苦手意識があるようです、が
時折、スピーチが得意だという人にも出会います。
なるほど得意だけあって流麗なしゃべりです。内容もツボを得ていて、なかなかいいスピーチだと列席者の多くが感じているようです。

ただし、ちょっともったいない気もする時があります。あまりに流麗過ぎて「間(ま)」が大事にされていないのです。

反対にスピーチがあまり得意ではない方のスピーチはどうでしょうか?
これが意外といいんです。
一言言っては詰まります、また一言言っては詰まります。
自分の思いにフィットする言葉を心の中で捜しているのでしょうか・・?
あるいは、思いついても、中々言い出せないでいるのでしょうか・・?
ここに、言葉とことばの間に一つの、「間(ま)」ができます。
この「間」が、聞く者の集中力と興味を引き出します。

スピーチに慣れてないからこそ、できる「間」。
スピーチに慣れているからこそ、できない「間」。

つい先日幼馴染の友人のスピーチを聞く機会がありました。
決して流麗ではないスピーチでしたが、懸命に自分の思いをまとめ、懸命につむぎだしていくそのスピーチにすっかり魅せられました。
器用すぎないからこそ生まれた一つの「間」。
懸命さゆえにこそ生まれた一つの「間」。それらの「間」がそのスピーチをより魅力的にしたのかもしれません。

プロ司会者は、意図的に意識的に、「間」を作ることができますが、やはり本当の『間』は、
その時、その場で、ジャストフィットの言葉を探し出す時にできる「間」にあるように思います。
その「間」こそが、聞く人の心を捉えて離さないのかもしれません。
魔法の「間(ま)」大切にします!

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by qqbh8530 | 2005-11-17 01:48 | 司会

謙虚さに学ぶ

尊敬する松原泰道氏(南無の会会長)の講座を聞きに行ったことがあります。もう15年も前のことになるでしょうか・・。
記憶は定かではありませんが、確か『良寛さんの作られた詩(うた)』に関しての朝日カルチャーセンターでの講座だったと思います。
何よりも印象的だったのは、氏の講座に臨む在り方が実に『謙虚』であったことです。

講座の開口1番、この講座に出席しているメンバーに対し「お忙しい中をこうして私の講座を聞きにお越し頂きまことにありがとうございます」と丁寧にお礼を述べられました。

そしてさらに「こうして皆さんと一緒に、良寛さんのことを調べることができることを、とてもうれしく思います」とおっしゃいました。

講座の終盤近くになっても、相変わらず「謙虚さ」の一文字で象徴されるような松原氏の講座が進んでいきました。

教えを請うというよりも、一緒に一つのことを調べ学ぶ・・といった感覚を覚えています。



そしてもう一人、1975-1988年まで朝日新聞の「天声人語」を担当されていた辰濃和男氏もまた『謙虚さ』が似合う方としてとても尊敬しています。

辰濃氏の著書「文章の書き方」の前書きにこう記してあります。少し長くなりますが紹介させて頂きます。

〔・・・ここ数年、文章を語る機会が何回かありました。
文章のコツを語るなんていうのはまことにおこがましい話なのですが、おこがましいと知りつつ、語っているわけですから、われながらいい気なものだと思います。話すだけではなく、今また文章のことを書こうとしている。いい気になるなよと己を戒めつつ、書き続けることにします。
おこがましいと知りつつ、なぜ文章のことを書くのか。
それは「文は心である」ということを少し考えてみたいと思ったからです。・・・・・・・1部省略・・・・・
正確に物事を見る訓練をおろそかにしている人が、はたして正確な文章を書くことができるでしょうか。・・・一部省略・・・ひとりよがりなことばかりを言っている人が目配りのきいた、均衡の取れた文章を書くことができるでしょうか。
表面はごまかせるかもしれません。しかし心のゆがみは、その人のどこかに現れます。・・・〕

以上の文章に、辰濃氏の人となりを感じます。謙虚さを感じます。同時に文を書くことで己を研鑽し続けてきた「厳しさ」もまた感じます。

正確にものごとを見る訓練をしているだろうか、いらいらせかせかの気分のままで机に向かっていないだろうか・・・思わず自分自身に問いかけてしまうほど、松原氏の在り方、辰濃氏の心構えに刺激を頂いています。


ブログを書き続ける者として、またプロ司会者としてとても大切な心構えを示して下さっているのが、松原氏であり、辰濃氏であります。
改めて自分の今の在り方、そして本当はどう在りたいかを知る手がかりになればと思っています。
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by qqbh8530 | 2005-11-15 01:34 | よりよい人生の為に

無心

披露宴の司会の仕事を通して、時折味わい深いスピーチに出会うことがあります。
過日の披露宴で新郎側の主賓の祝辞が、心に残っています。

それは良寛さんの「句」を添えたスピーチでした。

『花 無心にして ちょうを誘う』 という句です。

無心・・・
 
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by qqbh8530 | 2005-11-13 23:49 | 司会
【フィリピンのマルコス大統領が、宮殿を脱出したのは、1986年です。もうかなり日がたちますが、あの時、主の去った後の宮殿の様子を書いた新聞記事のことはよく覚えています。
記者は、マラカニアン宮殿に入り、その応接室にアルミホイル容器のカレーライスが食べかけのまま残されていたことを書いています。イメルダ夫人の部屋には残り香がただよい、引き出しは開けたままだったこと、夫妻の寝室には酸素ボンベも置かれていたことなども書かれていました。
この記事を覚えているのは、生身の人間のにおいがあったからでしょう。何よりもの強みは、記者が現場を踏んでいることです。現場を見たからこそ、書けた、という臨場感があります。
文章の生命は現場です。

<上記は、辰濃和夫著、『文章の書き方』15ページをそのまま抜粋しました。太字は仲澤が意図的に示しました。>


私は、上記の『文章の生命は現場です』を、次のように書き換えてみました。
『司会コメントの生命は現場です』と・・。

私たち司会者は本番当日、披露宴スタート1時間前に会場入りします。
会場側と最終打ち合わせ/新郎新婦との最終打ち合わせを済ませた後、私は、会場内はもちろんのこと、受付まわりに足を運び、さらに衣装室/写真室/クローク/化粧室への導線を実際に歩いてみることにしています。つまり現場を実際に歩き「見て、見て、見る」わけです。

いつも発見があります。
新郎新婦から聞いていない「物」で、「二人の手作りの物」や、「誰かにプレゼントされた物」など、思いがけない「物もの」に出会います。
どれもが、新郎新婦が司会者に『伝え忘れた物」、うっかりして、『伝えそびれた物』・・などです。
例えば受付に置いて在る「ウエルカムボード」/お祝いの籠花
例えば会場内のテーブルコーディネート/列席者の席次の変更/手作りの席札やメニュー/持ち込みポケットカメラ/持込のメッセージ゙カードや色紙・・・

また、宴の中でも時折、現場(盛り上がっているテーブルの近く)まで足を運び、列席者の何気ない会話をキャッチし、それをうまくアレンジしてコメントすることもあります。
どれもが「現場」をよく歩いて、見て見て見なければ、そのままになってしまったものばかりです。

私が現場(会場や受付など)をよく見て歩くのは、新郎新婦がうっかり司会者に言い忘れてしまっている事や物の発見と、司会コメントのねた作りの為です。

現場を歩き、よく見て、よく情報を収集し、それらを司会のコメントに生かしていく・・。実際に現場を踏んでいるので、言葉が確かな内容を持ち、司会にもに奥行きが出てくるように思うのです。

現場を見て、見て、見る!司会のウラワザに入れたいと思います。

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by qqbh8530 | 2005-11-13 01:12 | 司会

よりよい人生をめざして                       


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