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司会のウラワザ

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当たり前に潜む当たり前

司会歴20年、ウエイターはそれ以上、25年間やり続けています。
何事も<続けること>によって気づきや学びも増えてきます。
くじけずに続けたご褒美なのかもしれません。

今日もまた一つの学びがありました。

結婚披露宴・・・最近の傾向ですが<媒酌人なしの披露宴>は全体の9割近くになっていると聞いています。

私も現場に携わる司会者として、あるいはウエイターとしてそのことはかなり<実感>しています。
ですから、もう最近は<媒酌人なし>が私にとって<当たり前>となりました。
これから結婚される方々にとっては、なおさら<当たり前>のことだと思います。

以前、披露宴オープニングの新郎新婦歓迎の言葉(ウエルカムスピーチ)で、時折りこんなコメントに出会いました。

『ご覧の通り私達は媒酌人を立てませんでした。私達は、私達2人の共通の友人の紹介で出会い、披露宴もあまり形式にとらわれずに、私達らしい和やかな宴にしたいと思い、こういう形にさせて頂きました。』

私は最近、時代の流れで、もうそのような<媒酌人に関してのコメント>はあえていらないなぁ・・・と思いはじめておりました。

ところが今日、披露宴終了後、新郎のお母様とこんなお話をさせて頂きました。

『司会者さん今日はありがとうございました。おかげさまでいい披露宴になりました。実は息子から、自分達で計画し披露宴を挙げる・・・と聞いていたのですが、媒酌人も立てないで、いったいどうやってやるのか心配でしょうがなかったんです。おかげさまで上手にやって頂きました。本当にありがとうございました。』

私はお母さんのこの言葉(媒酌人も立てないでいったいどうやって・・・)を聞いた時、ハッとしました。そして気付いたのです。

<媒酌人なし>は私の当たり前、でも同じ当たり前でも、お母さんの当たり前は<媒酌人あり>だったのです。
私の<当たり前>の中にお母様の<当たり前>をすっかり飲み込んでしまっていた・・含んでしまっていた・・と気付いたのです。

このことから次のことを学びます。

『世の流れと共に<媒酌人なし>は当たり前となっている。しかし<媒酌人有り>が当たり前の時代に育ったお母さん達にとっては、今でも<媒酌人なし>は不安に思うようだ・・・。』
そしてさらに、
『媒酌人なしの時代を生きる大人たちが主流を占めるまで、もう少し時間がかかりそうだ。今でこそ、<媒酌人なし>は当たり前ではあるけれど、<媒酌人有り>が当たり前の方々も、まだまだいらっしゃることをしっかり理解しておこう・・・』

そう考えると、媒酌人を立てなかったことに関してほんの少しでもコメントすることは、十分意味があることに気が付きます。

私の<当たり前>のなかに潜むお母さんの<当たり前>に気付いたことを大変嬉しく思っています。

これからもまだまだ学び続けて参りたいと思います。



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by qqbh8530 | 2006-03-12 02:44 | 司会

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by こうちゃん