司会のウラワザ

qqbh8529.exblog.jp

よりよい人生をめざして                       

披露宴に列席して気付いたこと・・

久しぶりの更新です。
先日大きな披露宴(200名弱)に、司会者としてではなく、お客様として列席しました。
司会を仕事にしている者のとして、とても良い機会で、いろんな気付きがありました。新人司会の方々を対象に書いていますが、少しでもお役に立てれば嬉しいです。

披露宴当日、司会は司会で結構忙しいものですが、招かれた列席者も忙しいものですね・・、これ実感です。

登場者の祝辞に耳を傾け、余興に目を奪われ、料理を口に運び、両隣の人と会話を楽しみ、新郎新婦そしてご両親のところに、あるいは世話になっている諸氏先輩の方々へのお酌に周・り・・。また、他のテーブルから出張してきた方と話し込んでしまうこともありました。

当然、そういった会話中は、司会の言葉は全く聴いていません。
例えば、司会者が、余興登場者の方々の紹介をしていても、全く耳に入らず、余興がはじまって何やらにぎやかだなぁ・・と初めて舞台を見る感じです。
そう考えると、司会司会とあまりに自意識過剰になる必要はないようです。

パワー配分の再考が必要です。

ポイントは、開演から乾杯までの<オープニングのセレモニー>と、宴終盤の花束贈呈から両家代表謝辞の部分の、この2か所に、もっとも緊張と集中を配分できるよう意識することが大切かと思います。
それ以外は、お客様と一緒にいる、寄り添っていればそれなりの司会はできると思います。

尊敬してやまない私の司会の師、鶴賀二郎氏著「宴と縁」69ページから1部転載します。1つの視点として、ご参考になさって下さい。

転載ここから⇒
『セレモニーは誰にも分かるように120パーセントが形式である。特別目新しいことが展開されるわけではない。1つが終われば、次は何が始まるのか、出席した人は先刻ご承知である。それなのにことさら、人々の歓心を買おうとして、形容詞過多の、厚化粧した表現で言葉を並べ立てても、聞く人の心に通わない。それどころか押しつけがましく、不快感さえ与える。

形式的な場面は、自然な語り口で、簡潔に話す。言葉は贅肉をそいでいくことで深みを増す。言葉は多様性を持っている。決まったセリフを、同じ形式を踏んで司会者が語っても、語る人が実感した心を表現すれば、お客様を心地よくさせることはできる・・』転載ここまで

鶴賀氏は、ことあるごとに、「実感を語れ!実感こそが司会者の個性だ。司会を楽しみなさい!”」そうおっしゃっておりました。
[PR]
by qqbh8530 | 2012-06-15 06:32 | 司会

よりよい人生をめざして                       


by qqbh8530